ルパート・マードック

キース・ルパート・マードック

2006年8月のマードック
生年: 1931年3月11日(77歳)
オーストラリアの旗 オーストラリアメルボルン
職業: ニューズ・コーポレーション会長CEO
資産: $77億ドル [1]
配偶者: 1) パトリシア・ブッカー Patricia Booker (1956 - 1967), 娘のPrudence;
2) Anna Tõrv (1967 - 1999), 娘1人エリザベス (Elisabeth) と息子2人ラクラン (Lachlan)ジェームス (James) ;
3) ウェンディ・デン (Wendi Deng) (1999 - present); 娘2人グレース(Grace)とクロエ(Chloe)

ルパート・マードック(Rupert Murdoch、本名Keith Rupert Murdoch、1931年3月11日 - )は、メディア大手のニューズ・コーポレーションを所有することから世界的なメディア王と呼ばれる人物である。オーストラリア生まれで長年オーストラリアを拠点としていたが、1986年にアメリカでFOXテレビを創設した際に放送法の関係でアメリカに帰化し、アメリカ合衆国国民となっている。

目次

[非表示]

[編集] 経歴

彼のメディアグループの拡大の経緯については、ニューズ・コーポレーションも参照

オーストラリアビクトリア州メルボルンに、1931年に生まれる。ジャーナリストであった父のキース・マードック伯爵 (Sir Keith Murdoch) はオーストラリアの名門社会の一員で、第一次世界大戦での報道で活躍し、当時のオーストラリア首相ビリー・ヒューズの個人的なアドバイザーでもあった。またメルボルンの新聞「ザ・ヘラルド」などを所有し、オーストラリア一政治的影響力の強い新聞社社長・メディア経営者となった。キースは1928年にエリザベス・ジョイ・グリーン(後のエリザベス・マードック (Elisabeth Murdoch) と結婚し、息子ルパートと三人の妹をもうけた。キースはルパートの少年時代の不出来さに不満を持っており、息子が自分のあとを継ぐことを絶望視していた。ルパートは父には反抗的であったが、父の新聞王としての生き方に強い影響を受けており、その人生を模倣しようとしてきたといえる。母エリザベスは健在で、ルパートに今でも強い影響を持つ。

ルパートはメルボルン郊外のジーロングにある名門校ジーロング・グラマー・スクール (Geelong Grammar School) で学び、オックスフォード大学ウースター・カレッジ (Worcester College) へ進学し、学生新聞「チャーウェル(Cherwell)」で広告を販売していた。

1952年、父キースの急死によりルパートは学業半ばでオーストラリアに戻り、父の跡を継いでメディアグループのオーナーになろうとしたが、相続税を払った後にはザ・ヘラルドなどの主要な事業は残っておらず、アデレードの新聞「ザ・ニューズ (The News) 」などがかろうじてルパートの手元に残った。ザ・ニューズの社長となったルパートは、アデレード近くで起きた少女殺人事件で逮捕されたアボリジニマックス・スチュワート (Max Stuart) の冤罪と死刑反対を主張し大キャンペーンを行った。結果スチュワートは冤罪が認められ釈放され、ルパートは大いに名を上げたが、このキャンペーンの実際の功労者は編集長のローハン・リヴェットであった。

マードックはザ・ニューズ紙をもとに持株会社ニューズ・リミテッドを創立し、オーストラリア各地の新聞を買収して1970年代にはオーストラリア有数のメディア・グループへと成長させた。1964年にはオーストラリア初の全国紙「ジ・オーストラリアン」を発行し、政治的影響力も高めている。また1969年ロンドンザ・サン買収をはじめ、1970年代には英米各地の新聞を次々買収し、1979年に現在の持株会社、ニューズ・コーポレーションを設立した。

1980年代にはイギリスの名門紙タイムズ、アメリカの映画会社20世紀フォックスの買収、アメリカでのテレビ・ネットワークFOXの設立など事業を拡大し、その経済力・政治的影響力は世界規模に拡大している。1987年にはかつて父が所有し本拠としていたヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ社 (The Herald and Weekly Times Ltd) の買収についに成功し、父のメディア王国を取り戻した。

1970年代半ばまでは、ルパート・マードックのグループ各紙はオーストラリア労働党イギリス労働党支持だったが、その後はオーストラリア自由党イギリス保守党支持に回る。政治的には保守を代表しているとされる。

[編集] 人物

マードックはニューズ・コーポレーションの株主、代表取締役と言う立場でテレビ新聞映画雑誌音楽産業、インターネットなどを中心とした世界に散らばるメディア企業を率いている。一般的に傘下のメディア企業が親米・親イスラエルなどの姿勢をとり、これまでロナルド・レーガンマーガレット・サッチャージョージ・ウォーカー・ブッシュといった政治家を支持してきたため、マードック本人も保守主義者だと言われている。

しかし、彼は1975年までは左派であった。その後は保守に転向する。但し、イギリスでは労働党のブレアが政権に就くと、これまでの保守党支持を翻して労働党支持を表明したり、オーストラリアでも労働党党首を支持しており、チベット亡命政府指導者のダライ・ラマ14世を攻撃するなど親中派であること、最近ではブッシュの支持率の低迷からヒラリー・クリントン支持に回るなど、風見鶏的な姿勢も目に付く。本人は自分自身を「リバタリアニズムの信奉者」だとしている[1]

自身が所有するFOXネットワークの人気番組で、様々な米英の有名人が本人役でゲスト出演する「ザ・シンプソンズ」においては「わしが世界征服を企む悪のメディア王、ルパート・マードックじゃ~!」[要出典][2]というセリフを喋った事もあり、ユーモアには一定の理解を示す人物(シンプソンズのスタッフをはじめ、FOXネットワーク等の関係者には民主党支持のリベラル派で反マードックを表明する者も少なくないにもかかわらず、である)[要出典]

[編集] 私生活

彼はこれまでに3回結婚している。1956年にパトリシア・ブッカーと結婚し一女(プルーデンス・マードック)をもうけたが1967年に離婚した。この結婚に関しては彼は多くを述べていない。同年、社員でエストニア移民出身の若い女性、アンナ・トルフと結婚し、エリザベス(1968年生まれ)、ラクラン(1971年生まれ)、ジェームズ(1972年生まれ)の二男一女をもうけている。1969年、すでにメディア王となりイギリスに乗り込んでいた彼の資産を狙ってアンナ夫人の誘拐が企てられたが、誘拐犯はまちがえて重役のアリック・マッケイの夫人マリエルを誘拐し殺害してしまった。[2] [3]

アンナ夫人とは1999年に離婚し17億ドルにのぼる慰謝料を支払った。その半月後、当時70歳のマードックは当時30歳のウェンディ・デン (Wendi Deng) (鄧文迪、共産党政権下の1969年徐州生まれ、広州で育ち米国に留学したあと香港のスターテレビの副社長を務めていた)と結婚している。ウェンディーとの間にはグレース(2001年生まれ)とクロエ(2003年生まれ)の二女が生まれている。

エリザベス、ラクラン、ジェームズの三人はそれぞれニューズ・コーポレーション内の重役となり父の後継者の座を争ったが、次男ジェームズを除く二人はすでにグループを離れ独自のビジネスを進めており、ジェームズが後継者とみなされている。エリザベスは一度離婚し、英米を中心に活動するメディアグループ「フロイド・コミュニケーションズ」の創設者でジークムント・フロイトの曾孫にあたるメディア界の神童・マシュー・フロイト (Matthew Freud) (1963年生まれ)と結婚している。

[編集] 脚注

  1. ^ http://www.sourcewatch.org/index.php?title=Rupert_Murdoch#Murdoch.27s_politics
  2. ^ 原語ではRupert Murdoch, the billionaire tyrant.

[編集] 外部リンク